2019年9月に刊行予定の「復刊日本語」の編集プロセスをご紹介。楽屋話ではありますが、日本語教育に関わる方、雑誌やムックの制作過程に興味のある方はぜひご覧ください。第1回の本記事は、企画の誕生からスケジュールの立案までのお話です。(編集長)
ここでは、「復刊日本語」ができるまでの、楽しくてつらい道のりを日記風に書いています。「復刊日本語」は株式会社アルクの創刊50周年を記念して発行しますが、それだけではなく、急激に動いている日本語教育界において、日本語教師の皆さんに正確で分かりやすい情報を発信することで、日本語教育の世界がより良くなっていくようにという願いが込められています。
復刊日本語、始動。
その昔、「月刊日本語」という雑誌があった。
日本語教師という仕事がほとんど社会に知られていなかった時代から、25年間にわたり毎月出し続け、そして2013年春に「日本語教育ジャーナル」という名前でひっそりと消えていった。
「もう一度、『月刊日本語』を世に出したい」――そんな思いが日に日に強くなっていったのは、新しい元号が令和と発表になった頃だった。昨年から「日本語教育」という言葉が、なぜか新聞の一面を賑わすようになった。経済界も動いている。政治家も動いている。この動きに日本語教育が乗り遅れないためには、そして今後の政策決定に日本語教育が関わるためには、そしてその動きを大きくするためには、拠り所となるメディアが必要だ。
かくして、復刊日本語プロジェクトは、令和元年5月1日の夜にひっそりと始まった。
5月の編集者日記
5月〇日 曇り
「会社の創立50周年企画として『復刊日本語』を出したい」と、社内の企画会議で提案してみる。一度休刊した雑誌だ。何を言われるか戦々恐々としていたが、意外にも社内の反応は温かかった。「やってみたらいいんじゃない」「面白そう」「私もやってみたい」。
この「面白そう」という気分が大切。仕事は面白がるに尽きる。特に本作りにおいては。
5月〇日 薄曇り
幸い企画書は社内で通ったが、そういえばどうやって作るかあまり考えていなかった。まるで、手を上げて先生に指されてから答えを考える小学生みたいだが、一人ではさすがに作れないので、(とはいえ社内の人は皆忙しそうなので)以前に一緒に雑誌を作っていた仲間に声をかける。歴代編集長からは「喜んでやります!」のうれしい返事。早速、その日の晩に新宿で決起集会を開催した。こういう動きだけは早い。
皆であれこれ話していく中で、企画の骨格が徐々に決まっていく。本を作っていて一番楽しいひと時。できる・できないは別に、アルコールの力も借りて皆好き勝手に大風呂敷を広げる。そのうちのいくつかの企画が、実際の誌面につながっていく。
5月〇日 晴れ
暑い。東京は3日連続の真夏日らしい。今年は暑い日がよく続く。冷房の効いたオフィスを離れ、「リサーチ」と称して、いろいろなところに顔を出し始める。「今度、復刊日本語を作ることになりました」という「大義名分」があるので、どこにでも行き、聞きたいことは何でも聞く。日本語の先生、学校の経営者、官僚、ボランティア、出版社、皆いろいろと親切に教えてくれるのがうれしい。同じ世界に住む人たちの声援を感じる。
5月〇日 休日
休みの日は学会やイベントに顔を出す。こういうところに顔を出すのは随分と久しぶりなので、できるだけ目立つように、前の方の席に座る。そして後でインタビューや原稿を依頼する。
5月〇日 曇り
会社から近い専門書店で本を買い込む。WEBで情報を集める。はじめは断片的であったいろいろなパーツが、徐々に頭の中で像を結んでいくのがわかる。「そうか、そういうことだったのか」と独り言を繰り返しながらメモをまとめていく。
5月〇日 晴れ
社内関係者と話してスケジュールを決める。発行日は決まっているので、そこから逆算するのだが、いつものことながら時間はいくらあっても足りない(!)ことに気づき、慌てる。しかし、このゴールの日が決まっていて、そこまでに形にしなければならないというヒリヒリした緊迫感が懐かしい。
いよいよ6月からは取材やインタビューが始まります。(来月に続く)