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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

外国人との会話―言いたいことに寄り添い、理解を伝える大切さとは

外国人が十分に日本語で表現できていないとき、聞き手は話し手が本当に言おうとすることを読み取ろうとし、その時点の理解を伝える必要があります。前回引き続き、寄り添う聞き手としての振る舞いを、福岡市で行った行政関係者対象の研修を基に考えます。NPO多文化共生プロジェクト代表の深江先生によるコラムです。

本コラムに登場する資料は、スリランカからの留学生リヤジさんと、日本語教師の田中先生のやりとりを記述したものです。

話し手が言ったことを聞き手が読み取る

「どうしてショウセツをかく」と彼女はアクセントを欠いた声で尋ねた。天吾は彼女のその質問をより長いセンテンスに転換した。「数学がそんなに楽しければ、なにも苦労して小説を書く必要なんてないじゃないか。ずっと数学だけやっていればいいじゃないか。言いたいのはそういうこと?」ふかえりは肯いた。

(村上春樹『1Q84 BOOK1〈4月-6月〉前編』より)

「ふかえり」という女性はいつもことば足らずで話すため、天吾はふかえりのことばを手がかりに彼女が言おうとすることを読み取ろうとし、それを伝えます。二人のコミュニケーションは、話し手であるふかえりから聞き手である天吾へ情報が伝達されることによって成り立つのではなく、話し手が言ったことを基に話し手が言おうとすることを聞き手が読み取ろうとすることで成り立っています。このように私たちは、話し手が言ったことから、話し手が言おうとすることを聞こうとします。話し手の言ったことが言おうとすることを十分に表現できているのであれば、聞き手にはコミュニケーションを成り立たせるために特別な協力が必要ありません。しかし、日本語がほとんど話せない外国人のように、言おうとすることが日本語で十分に表現できない人の場合、聞き手は話し手が言ったことから言おうとすることを読み取ろうとし、それを伝える協力が求められます。

丁寧に寄り添いながら、問いかける

資料①を見てください。資料①はリヤジさんと田中先生のやりとりの一部です。( )はリヤジさんの発話内で起きた田中先生の相づちです。

資料(1)

田中  :スリランカは暑いですか?寒いですか?
リヤジ :スリランカは暑いです。
田中  :暑いですか。
リヤジ :はい。
田中  :ああ。そうですか。
リヤジ :はる。はる。
田中  :はる。はる。
リヤジ :うーん、寒い。
田中  :寒い。
リヤジ :ありません。
田中  :寒いありません。
リヤジ :うーんはい。
田中  :えっ、ええと、1月2月3月4月5月ずーと
リヤジ :1月ちょっと寒い。
田中  :ああ1月はちょっと寒い。でも他はずっと暑いですか?
リヤジ :ああ暑い、ちょっと暑い。
田中  :ちょっと暑い。
リヤジ :6月まで、(うん)8月から(うん)大きい暑い。

スリランカが暑いか寒いか尋ねた田中先生は、リヤジさんのことばを繰り返しながら、リヤジさんの言おうとすることを聞いています。リヤジさんが「寒い、ありません」と言ったので、それを基に田中先生は「1月2月3月4月5月ずーと(寒くないですか)」と尋ねようとしました。するとリヤジさんが「1月ちょっと寒い」とことばを足しました。もし田中先生の問いかけがなかったら、リヤジさんは「1月ちょっと寒い」ということを伝えられなかったと考えられます。

そして、そのことばを基に田中先生はリヤジさんの言おうとすることに対する自分の理解を更新し、「でも他はずっと暑いですか」と尋ねています。リヤジさんは、「6月まではちょっと暑くて、8月から大きい暑い」ということを伝えることができています。田中先生の問いかけによって、リヤジさんは、より明確に言いたいことが伝えられたと言えます。 

もう一つ例を見てみましょう。資料②も田中先生とリヤジさんのやりとりです。

資料(2)

田中  :じゃあえっと毎日、えっと、毎日何を食べますか。
リヤジ :ええ、私の兄います。
田中  :あに、お兄さん。
リヤジ :〈聞き取り不可能〉ひとはAPUで勉強します。
田中  :ああお兄さんはAPUで勉強しています。
リヤジ :はい。今、おしごと、お仕事します。
田中  :ああ今仕事しています。
リヤジ :はい。
田中  :うんうんうん。どこで?福岡で?
リヤジ :福岡で。
田中  :ああじゃあ今一緒に住んでいますか。
リヤジ :ああ、はい一緒に住んでいます。

田中先生は、一見すると質問に合わない答えをしたリヤジさんのことばを丁寧にたどりながらリヤジさんの言おうとすることを聞いています。その中でリヤジさんのお兄さんが福岡に住んでいることが分かりました。リヤジさんが留学した場所も福岡なので、田中先生は「ああじゃあ一緒に住んでいますか」と尋ねました。田中先生はリヤジさんについて知っていることとリヤジさんの言ったことを基に、リヤジさんとお兄さんが一緒に住んでいることを読み取り、それを伝えています。その結果、二人が一緒に住んでいることが分かりました。このやりとりの続きが資料③です。

資料(3)

田中  :うん、じゃあえっと、ご飯はお兄さんが作りますか? [料理を作る仕草をする]リヤジさんが作りますか?
リヤジ :ふとり。〈聞き取り不可能〉
田中  :ふたり。[左手の人差し指と中指を立てる]
リヤジ :今日、私は。(ああ)明日は兄。
田中  :ああ今日リヤジさんが作ります。明日お兄さんが作ります。
リヤジ :はい。
田中  :ああじゃあ交代交替。そうですか。作る料理は、えっとスリランカの料理を作りますか。
リヤジ :はい、作る。

二人が一緒に住んでいることが分かった田中先生は、ご飯を作るのがお兄さんであるか、リヤジさんであるか尋ねました。そして二人が交代交替で作ることが分かった田中先生はスリランカの料理を作るか尋ねました。その結果、最初の質問である「毎日、何を食べますか」に対する答えにたどりつきました。

「理解を伝える」ことは外国人との会話を広げる

資料②③のやりとりの中で、もし田中先生が「今一緒に住んでいますか」と尋ねなかったら、どうでしょうか。リヤジさんとお兄さんが一緒に住んでいることが分からなかったら、田中先生はリヤジさんとお兄さんがスリランカの料理を交代交替で作り、食べていることにたどりつけなかったと考えられます。

話し手の言おうとすることが十分に日本語で表現できていないとき、聞き手である私たちは、話し手の言ったことを基に、話し手が本当に言おうとすることを読み取ろうとし、その時点の理解を伝える必要があります。話し手は、聞き手が伝えてくれたことに対し、言おうとすることと異なれば、さらにことばを足します。それを聞き、聞き手は自分の理解を更新します。

このことは母語話者同士でも成り立つのですが、日本語がほとんど話せない外国人の場合は、より頻繁に起きてきます。なぜなら、言おうとすることが十分に日本語で表現できないのが、日本語がほとんど話せない外国人だからです。

彼らの話を聞くとき、私たちは彼らの言おうとすることに寄り添い、たどる中で、読み取ったことを伝える協力を通して、彼らが本当に言おうとすることにたどりつけるようになります。

執筆/深江 新太郎(ふかえ・しんたろう)

「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。大学で歴史学と経済学、大学院で感性学を学ぶ。珈琲屋で働きながら独学で日本語教育能力検定試験に合格し日本語教師に。学校法人愛和学園 愛和外語学院 教務長。