クーデターから3カ月、軍による国民への暴力行為がエスカレートするミャンマー。その動きは日本でも報じられていますが、先が見えない状況が続いていて、このコラムの本題である「ミャンマーの日本語教室」の動きも止まっています。今回は、アミクスグローバルミャンマー・ランゲージセンター日本語主任の渡辺幸子先生に、教師・スタッフによる定例ミーティングの話を中心に3・4月の様子を伝えてもらいました。(NJ編集部)
2021年3・4月のミャンマー便り
3月1日(月)
3月いっぱい、学校は休校となりました。4月は未定です。日々悪化するミャンマーの状況を、ただ見ていることしかできないことが悔しくてなりません。
3月30日(火)
この1カ月間、毎週火曜日に現地の先生方と日本にいる私たちで定例のミーティングをしてきました。ミャンマー人の先生方から現地の状況を聞くたびに、絶望にも似た感情を抱き、直後は何もする気になれません。
ある学生から、写真付きで「私の町です」というメッセージが届きました。そこには、血に染まった道路、明らかに無惨な殺され方をして絶命した人の写真がありました。どうしてここまでしなければならないのか、涙が止まりませんでした。
日本でもニュースで報じられましたが、美容院に勤めていた19歳の普通の女の子、医師になることを目指していた17歳の医大生、お父さんの膝の上で発砲された7歳の女の子、家の前で遊んでいただけの4人の子どもたちも犠牲になりました。目を撃たれた1歳の赤ちゃんもいます。ほかにも、ミャンマーの未来を担う多くの若者、無抵抗の子どもにまで容赦なく銃が向けられ、毎日犠牲者が増え続けています。
亡くなった方の葬列に発砲したり、バイクで通行していた人を銃撃し、負傷して動けなくなったところを更に痛めつけて連れ去ったり、銃撃でケガをさせた人を生きたまま火の中に放り込んだり、カレン州では数日にわたって空爆まで行いました。国軍側の、この非常識で野蛮な行為が今のミャンマーの日常になってしまっているのかと思うと、本当にことばもありません。ヤンゴンのシンボル、シュエダゴン・パゴダの金箔が剝がされ、国軍側の資金に換えられたという信じられない話もあります。
しかし現地にいるミャンマー人は、国軍におびえ、警察におびえ、私のように絶望にひたる余裕もないのかもしれません。今を生きることで精一杯だと思います。ただ大切な家族と、大好きな人たちと、平穏な日常を過ごしたいだけなのに。夢に向かって頑張りたいだけなのに。誰にそれを奪う権利があるのでしょうか。
4月6日(火)
定例ミーティング。今日も全員参加できました。通信事情により声のみの参加になったミャンマー人の先生もいましたが、とりあえず元気そうでほっとしました。
4月13日(火)
定例ミーティング。今日も先週と同じ、声のみの参加となった先生もいましたが、全員集合できました。しかし現地は予断を許さず、田舎の町でも状況は悪化しており、非常に危険とのこと。さらに「スマホ狩り」が始まり、ミャンマー国内のモバイル通信は遮断。外国とつながるものは徹底的に排除する方針のようです。スマホが使えないためガラケーに逆戻りする現象が起きており、何世代も前のガラケーと、何とか使える海外製のsimカードを求めて、携帯ショップには大行列ができるほど。完全に時代の逆行。国の発展どころか大後退です。
4月20日(火)
定例ミーティング。昨日、あるミャンマー人の先生から連絡があり、「田舎へ行くことになったので明日のミーティングには参加できません」と。今いる場所の状況が更に悪化したのでしょう。とにかく無事でいてくれることを願うしかありません。ほかの先生方は全員無事。とても元気でした。本当によかった。
ミーティング終了後、ヤンゴンの現地スタッフから電話が。私たちのミーティングの最中に、学校の1階上の住民男性が軍と警察に連行されたとのこと。1人を拘束するのに車5台、計10人ぐらいで来たようで、周りの人は手出しができず、見ているしかなかったそうです。連行されて、元気なまま戻ってきたミャンマー人はほとんどいませんが、どうか、どうか無事で戻ってきますように。
4月27日(火)
定例ミーティング。先週、田舎へ避難したミャンマー人の先生は、まだ戻ってこられず。ただ国内で連携は取れているらしく、元気にしているとの情報が。本当に良かった。でも先週連行された住民の男性はまだ戻っていないとのこと。1日も早く解放されますように。
最近は外国人でも構わず銃を向けられ、アパートの自室にいても部屋の中に押し入ってこられ、持ち物検査をされることもあるそうです。しかしミャンマー人が感じている恐怖と怒りは、この比じゃありません。
こんな日常がいつまで続くのか。1日も早く終わらせるべきです。