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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

日本語教師を長く楽しく続けられるように『ケースから学ぶ 知っておきたい日本語教師の心がまえ』著者インタビュー

「教案作成に押しつぶされる!」「教育実習でしごかれた!?」など、日本語教師として歩み出そうとしている方や、教えはじめて間もないという方がご覧になると、ちょっとドキッとしたり、身につまされたりする問いかけが並ぶ『ケースから学ぶ 知っておきたい日本語教師の心がまえ』。2024年秋に上梓された本書の著者のお一人、鴈野 恵先生に、執筆のきっかけや背景にある理論、読者に伝えたい思いなどについて伺いました。

国際交流基金の専門家として派遣される中で、「支援者」に目が向くように

——今日はお忙しい中、ありがとうございます。まず、本についてお伺いする前に、先生がこれまで日本語教師として、どのような道を歩んでいらしたのか、お伺いしてもよろしいでしょうか。

はい。日本語教師としてのキャリアのスタートは韓国・釜山の日本語学校でした。1998年ごろで、当時の韓国は日本文化開放前で、テレビでは日本語の番組や歌などは放送されていませんでした。ただ、国際的な賞を取った映画などは映画館で見られたので、日本語能力試験の後に学生と一緒に北野武監督の『HANA-BI』を見に行ったりはしていました。

その後、大学に移り、韓国では6年間、日本語を教えました。在韓中にも修士を取得したのですが、さらに日本語教育について学びたいと考え、大学院進学のため、日本に戻り、九州大学に入り、第二言語習得で修士論文を書きました。

——その後、国際交流基金の日本語専門家になられたのですよね。

はい。釜山の大学で教えていたときに基金の専門家の方がいらして、我々に日本語の教え方を惜しみなく教えてくださったんです。私もこういう仕事がしたいと思い、調べたところ、修士が必要と知り、帰国して学位取得を目指しました。取得後は、専門家としてカザフスタンとマレーシアに派遣されたのですが、仕事をするうちに、日本語学習者に教えるのもいいけれど、教える側に目が向くようになりました。子ども対象の授業でも、子どもより先生方の教え方に意識がいき、自分だったらどう教えるだろうと、どうしても考えてしまうんですね。そして、2013年から現在の所属である筑紫女学園大学で教えるようになってからは完全に日本語教師養成に携わるようになりました。

せっかく日本語教師になったのに、早期離職してしまう人が多いのが辛い。長く楽しく仕事を続けるためにはどうしたらよいのか、と考えたのが出発点

——今回、出版された本も、タイトルに「日本語教師の心がまえ」とある通り、学習者ではなく、教師への支援を目的とした内容ですよね。なぜ、「心がまえ」について執筆されようと思われたのか、コンセプトや本に込められた思いなどをお聞かせください。

本の「はじめに」にも書いたのですが、日本語教育を勉強して実習も重ね、せっかく日本語教師になったとしても、いざ現場に入ってみるとさまざまな「未知の壁」にぶつかり、早期離職してしまう卒業生をこれまで多く見てきました。同僚の先生とうまくコミュニケーションが取れなかった、こんなはずじゃなかったと、大事に育てた卒業生が1年ちょっとで辞めてしまうのを見るのは何よりも辛いことで、なんとかできないのかという思いがありました。

そこで、辞めてしまう背景を考えていくと、日本語教育の知識や技能の問題ではないと思うようになったんです。授業のやり方がまったくダメだったわけではなく、相応にできていても、教室外のことで悩んで辞めていくパターンが多い。それは新人を育てようとした側にとっても不幸なことです。

そこで、養成時代に、その部分についてもっと考え、心の準備をしてもらったらよいのではないか、育てる側の先生方にも知っておいてもらえたらよいのではないか、というところに行きつき、それが本の出発点になりました。根本にあるのは、本書の「はじめに」の最後の一文「日本語教師を始めた方々が長く楽しく仕事を続けられるように」という願いです。

——今回の本は、先生を含め3人での共著になりますが、具体的にどのような経緯で執筆が始まったのか、教えてください。

もともとは佐々木良造さんが『アクティブトランジション 働くためのウォーミングアップ』(舘野泰一・中原 淳 他著 三省堂)という本を読まれ、一緒に研修をやらないかという声がけをしてくださったのが始まりでした。アクティブトランジョンというのは、簡単にいうと、学生から社会人になる前に、働くことへの準備をアクティブに体験し、円滑かつ能動的な移行(トランジョン)を実現させるということを言い表した著者たちの造語です。

どんな職業でも大学から社会人になったときに環境が変わってギャップを感じる人が多いので、うまく乗り越えるにはどうしたらよいかが説かれていて、ワークショップの手法なども紹介されています。そこで科研費を申請しようとなり、もう一人、別の学会でたまたま分科会でご一緒した香月裕介先生と研究テーマが近かったのでお声がけし、3人での執筆体制ができました。

本書を支える3つの理論的背景——「ケース・メソッド」「三項関係モデル」「ALACT(アラクト)モデル」

——では、具体的な本の構成について伺いたいと思います。本書は基本的に、ある事例(ケース)をもとに、自分の考えを深めていくタスクを行うという流れで構成されています。その背景として3つの枠組みを参考にしたということですが、まず、そこからご説明いただけますか。

4〜5ページで紹介している「01 ケース・メソッド」「02 三項関係モデル」「03 ALACT(アラクト)モデル」の部分ですね。

まず「ケース・メソッド」は、ある出来事が書かれた事例(ケース)をもとに、考えられる問題について、さまざまな角度から意見を出してディスカッションを行う方法論です。

次の「三項関係モデル」は、ケースを読み、対話をしていく際に2人(A、B)が向かい合って行う(二項関係)のではなく、三つ目の媒介(C)を設定します。そして、対話を行う2人は向かい合うのではなく、並ぶ関係を作り、Cを共に眺めながら対話をするというモデルです。同じものを読み、同じ方向を見て対話する三項関係は、対話を促す効果があるといわれており、省察を深めるにも役立つと考えました。

三項関係モデル

最後の「ALACTモデル」も省察を深めるためのモデルで、オランダ・ユトレヒト大学のコルトハーヘン名誉教授によって提唱されたものです。ここでいう省察とはケースについて唯一の解決策を見つけることではなく、対話を通してさまざまな視点からケースを捉え、ケースの本質に気づくということを意味しています。そして、今後、同じような状況に直面したときに、それまでは思いつかなかった新たな対応の選択肢を増やし、相手との関係や周囲の環境などに合わせた適切な対応が選択できるようになることを目指しています。各ケースのタスク構成は、このモデルを下敷きに組み立てられています。

ALACTモデル

——各ケースのタスクとALACTモデルは、どのように対応しているのでしょうか。

各ケースは「01 ケース(事例)」「02 自分と対話しよう」「03 みんなで対話しよう」「04 もう一度自分と対話しよう」「05 私たちが考えたこと」という5つのステップで構成されています。

まず「01 ケース」は「1 ACTION:行為」にあたります。教師歴の短い先生がよくぶつかる悩みなどが示されており、まずはこれを読むところからタスクは始まります。

次の「02 自分と対話しよう」は「2 Looking Back on Action:行為の振り返り」にあたり、ケースを読んで考えたことやその時の感情、自分が過去に経験したエピソードなどを言語化します。

ここで本書の特徴といえるのが、3つ目に「さまざまな視点から問題を捉える」ために複数の登場人物の立場から考えるタスクを設けていることです。登場人物の立場になって8つの質問の答えを書き込むと、それを対比して見られる表になっています。これは、人は何か問題が起きた場合、「どちらかが悪い」と考えてしまいがちなのですが、そうではなく、他の立場になって一度考えを整理してみるためのものです。

そして「03 みんなで対話しよう」は、同じケースを読んだ他の人との対話を行うステップになります。三項関係モデルに基づいたもので、複数の視点で考え、自分の経験や考えを更新するためのタスクです。考え方や立場が異なる4人の日本語教師の意見を紹介しているので、一人でワークする場合は対話の代わりに4人の意見に耳を傾けてみてください。

その上で、「04 もう一度自分と対話しよう」のステップに進みます。これはALACTモデルの「3 Awareness of Essential Aspects:本質的な諸相への気づき」と「Creating Alternative Method of Action:行為の選択肢拡大」にあたります。対話で気づいたこと、確信を持ったことなどを言語化し、その中から重要だと思うことを見極めて、それを「短いひとこと」でまとめる作業を行います。

これが肝になるところで、言葉を凝縮することによって考えを抽象化・高次化し、ケースの本質に迫ることが目的です。そのステップを経て、あらためて、自分が同じ状況に置かれたらどうするかを考えていきます。1つの解決策を示すのではなく、他の選択肢もあることに目を向けることが目的になります。

最後に、「05 私たちが考えたこと」では、著者3人が考えたことを記していますが、これが唯一の正解であると示したものではありません。「著者によっても結構、考え方が違うんだな」などと思いながら読んでいただいて、そこからさらに新しい対話が生まれ、省察が深まるきっかけにしていただければと考えています。

——ALACTモデルに、かなり忠実に沿ってタスクを構成されたのですね。

はい。読み物として心がまえを伝えることも大事ですが、研究者の方にも手に取ってほしくて、そこは、私なりにこだわりました。でも、この流れに着地するまで、著者の間や担当編集者の方との間で、正直、かなり意見のやりとりがありました。例えば「05 私たちが考えたこと」は、唯一の解決策ではないので、最初は入れる予定ではなかったのですが、教材として何らかのプロからのヒントを示してほしいと編集者の方のリクエストがあり、入れることになりました。

本書のタスクを行なって、学生や先生などから聞かれた感想や反応は?

——本書をまとめるにあたり、試行段階での反応なども反映されたのでしょうか。

学生の就職の相談も受けるという立場上、日本語学校の教務主任の方と話す機会が多いのですが、大学でどのようなことを身につけておいてほしいかと尋ねると、教え方は入ってからいくらでも指導するので、それよりも、例えば、国際感覚や学習者とフラットに接するなど、教師としてのマインドの部分を教えてほしい、ガッツとか打たれ強さとか、朗らかに挨拶するというところも大事ですよと言われることが多かったんです。本書は、そういった心構えの部分を考えるものなので、日本語学校の先生方には共感してもらいやすいのではないかと思っています。

——実際に本書を使用した授業を行ってみて、学生さんの反応は、いかがですか。

本書の特徴として、ALACTモデルに沿っていること、唯一の正解を示すのが目的ではないこと、教師歴の短い人がぶつかりやすい壁にフォーカスしていること、多様な立場からの視点で考える8つの質問を取り入れていること、そして、自分の考えや意見を言語化することが挙げられると思うのですが、この中で、最後の「言語化する」のが難しいという声を多く聞きます。ただ、何回か繰り返すことでできるようになるようです。

私の大学の授業では「自分と対話しよう」のページを予め記入し、それをMicrosoft Teamsで共有し、授業前に他の人のものを読んでから授業に参加する形をとっているのですが、上手に書けているクラスメイトのものを見て、書く練習をするうちに上手になっていく学生は多いですね。また、学生にはケースの背景を調べるタスクも課しているので、知識が広がったという声も聞きます。

——この本を使って授業をなさった先生方からの声などはいかがですか。

いずれの問題も正解がない、白黒つかないので釈然としないところに難しさを感じるという声は聞かれますね。正解はないことを前提として楽しむという気持ちで行わないと、あまりこの本が生きないということはあると思います。

例えば、「日本語教師は外国語ができたほうがよいか」という問題に、「できたほうがいい」という意見を持っていたとしても、それは言わないほうがよいかなと思います。ただ学生は、先生はどう思うのか、こちらが言うのを目を輝かせて待っています。そういう場合は、意見を言うのではなく経験を話すと、ケーススタディになり、学生も喜びますし、学びにもなるのではないかと思います。

——とはいえ、今の学生さんは比較的、唯一の答えを求めがちではないでしょうか。

そうですね。でも、学生同士でも「これが正解」と言うと、目の前の人が違うことを言い出すということもあって、案外、皆、考えていることって違うんだなと気づく場合もありますね。

「みんなで対話しよう」の4人の先生も、一つのケースを真ん中に置き、それぞれのキャラクターや立場を際立たせつつ、嘘のない、異なる意見を言わせています。「誰が悪い」でもなく「正解・不正解」でもなく「違う」。ここを読むだけでもいろんな見方があると気づいてもらえるのではないかと思います。ちなみに青山先生のモデルは「それってあなたの感想ですよね」のひろゆきです(笑)。

本書を出版したことで読者に伝えたい思い、日本語教育業界に変わってほしいこと

——最後に、この本を読まれる方へのメッセージをお願いします。

タイトルが「知っておきたい日本語教師の心がまえ」となっていますが、決して「心がまえ」を我々が教える本ではないんです。さまざまなケースを読み、自分で考えながら自分なりの心がまえを作り上げていきましょうというのが本書の狙いです。

これまで「教え方」に関する本はたくさん出ていますが、それ以外の部分に焦点を当てた本は、日本語教育ではあまりなかったと思うので、本書のタスクを積み重ねることによって省察力が育ち、壁を乗り越える手立てを知識として持てるようになれば、今後、教え方以外のことで壁にぶつかったときに、「あいつが悪い!」と誰かを悪者にして片付けたり、「もう無理ー!」と簡単に諦めたりすることも減るのではないかと期待しています。それは最初に挙げた「長く楽しく日本語教師の仕事を続けてほしい」という願いにつながります。

それから、もう一つ、私が最近、思うのは、日本語教師の就職は新卒採用が基本になることを業界全体で目指したいということです。お笑い芸人の修行のように、日本語教師も、これまで長く、キャリアのスタートは非常勤で給料も安くてよいという風潮が続いてきました。でも、もうそれはやめて、子供が将来の夢に日本語教師と書くようになってほしい、それには日本語教師の裾野を広げないといけないと思うんです。

そのために、これから日本語教師になる人が身に付けるべきものとして、文化庁が示した「日本語教師【養成】に求められる資質・能力」にある「態度」(9ページ掲載)があると思うのですが、本書はこれに照応させています。教師養成のコア・カリキュラムにも入っているので、今、養成講座で学んでいる方は知識のアップデートができると思うのですが、世代的に学んでいない現場の方も、人権意識やキャリアの積み重ね方、勤労意識など価値観を更新していく必要があると思っています。

働き方改革の本は結構ありますが、日本語教育に特化したものはなかったので、この本がその第一歩となって、現場の先生も含めて変わっていき、日本語教師の裾野が広がってくれればと思います。