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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

学生も教師も、教室の外の世界とつながるー『できる日本語』採用校インタビュー(福岡日本語学校)

「日本語教育の参照枠」の考え方を具現化できる教科書、『できる日本語』。全国で使っている学校が増えてきています。ではどのように導入したのか、迷ったりしたことは何か、導入後の様子はどうなのか? このシリーズでは『できる日本語』について知りたいと思っている方に向けて、使っている学校の先生方に学校の様子、どんな思いを持って導入したのかなど、「ホントのところ」を伺っていきます。今回お話を伺ったのは福岡日本語学校の教務主任・妹川幸代先生です。

学生にとって理想の授業は何かを考えたのが出発点

——妹川先生ご自身が『できる日本語』と出会ったのは、以前、お勤めの学校でのことだったそうですね。どのような経緯だったのでしょうか。

大学卒業後に専任講師として愛和外語学院に入り、その後、他校での勤務を経た後、再び専任として愛和外語学院に戻ったタイミングで出会いました。ちょうど『できる日本語』が出版された頃だったかと思います。日本語学校に在籍する学生の国も中国からベトナム、ネパールに変わり始めていた時期でもあり、カリキュラムの見直しをすることになったのです。そこで、まずは教科書ありきではなく、学生にとって理想的な授業とは何か、授業を通してどういうことができるようになってほしいのか、ということから考えていこうということになりました。

考えた授業の流れは、まず学生たちが出会うのはどんな場面か、次にその場面でどんなことを話すのか、最後にその話をするときにどんな言葉や文型を使うかというものでした。そして、いくつかの教科書を比べた上で、『できる日本語』なら、自分たちの考えた授業が実現できるのではないか、ということで選びました。

——『できる日本語』を導入するにあたって、どのような手順で変えられていったのでしょうか。また、導入する過程で、先生方の反応などはいかがでしたか。

それまで使用していた教科書は、いわゆる文型積み上げ式のものでした。導入にあたって『できる日本語』がどういう教科書であるのか、という説明はしたのですが、戸惑いを感じられている様子が見られました。文型からではなく、学生がどんなことができて、どんなことが言いたいのか、ということからスタートすることへの戸惑いです。

そこで、教科書の監修者である嶋田和子先生にお越しいただいて研修会を開いたり学内で説明会や研修を行ったりしました。また、それとは別に、『できる日本語』を使った授業を始めてからは日々の授業の振り返りを綿密に行いました。その日、どのような授業をしたのか、学生の反応はどうだったか、次の授業はどうしていくか、など、非常勤の先生も含めてかなり丁寧に話し合う機会を意識的に多く持つようにしました。

話し合いの中で、実際に学生の発話が増えたり、前よりも学生が生き生きと話せるようになったりしているという声が聞かれるようになり、それが少しずつ広がることで、先生方も変わっていきました。浸透するまで時間はかかったのですが、「こういう教科書である」という説明を一生懸命するよりも、学生が日本語を学ぶことで実現させたいことは何なのか、そのためにはどういう授業を行っていくことが必要なのか、という方向性を共有し授業を実施する中で、先生方自身が学生の変化を実感することで理解が深まり、一つになれたように感じます。

——学生さんの反応はいかがでしたか。

それが、『できる日本語』に変えてから、アルバイト先で周りに比べて日本語が上手に話せているという経験をした学生の声を聞くようになりました。また、初級から発表の授業を多く行うことで、楽しく日本語が上手になれたということを卒業式のスピーチで言ってくれた学生もいました。授業が学校の強みになりました。

——実際に、導入までは、どれぐらいの期間を要したのでしょうか。

カリキュラムを決めるまでに3カ月、先生たちへの説明や研修に3カ月で、合わせて半年ぐらいだったと思います。

——妹川先生ご自身は、『できる日本語』に対しては、どのようなご感想をお持ちですか。

日本語学校の学生の多くは進学が目的なので、進学に必要な日本語を学ぶわけですが、『できる日本語』は、もっと先の将来、日本で暮らしていくことにつながる日本語を身につけることができる教科書だと思います。主人公が日本語学校の学生という点も、身近で、学生が自分に置き換えて考えることができる教科書だと思います。

教師全員で授業に対する共通認識を持つことが大事

——現在の勤務校である福岡日本語学校に移られた時は、すでに『できる日本語』は採用されていたのでしょうか。

はい。その後、新規校の立ち上げに携わりましたが、コロナ禍で開校が見送られたため、『できる日本語』を使っている学校を探して移りました。ただ、『できる日本語』の前は文型シラバスの教科書で授業がなされてきたこともあり、『できる日本語』の基本的なコンセプトが十分に浸透していませんでした。また、各クラスの授業内容は担任の裁量でなされる部分が大きかったです。

移ってから1年後に主任になったのですが、ちょうど日本語教育の参照枠が公開され、認定日本語教育機関の申請制度に向けての動きが始まるタイミングでもあり、カリキュラムの改善をしていく時機だと考えました。学校全体として方向性を共有することを大切にし、徐々にその方向に動いていくようになりました。

——具体的には、どのような手順で進めていかれたのでしょうか。

方向性を共有するためには、教員全員で基本的な授業に対する考え方を共有することが大事だと思ったので、小さな話し合いを多く持つようにしました。毎日の振り返りの中で、「文型が言えるようになることがゴールではなく、学生のコミュニケーション能力を伸ばして、できることをどう増やしていくか、というところが大事」ということを伝えて、「日ごろ、どんな場面で、この言葉や表現を使っているのか」「学生の実際の生活に落とし込むとどうか」という問いかけをしていくうちに、先生間で授業についての話し合いが増えてきました。時間はかかりますが、これが教員同士が方向性を共有していく上では大事だと思います。

「教科書の中で完結しない」教科書!?

——実際に、『できる日本語』を使った授業で、先生方からこんな声が聞かれるようになったとか、学生の様子が変化したといったエピソードはありますか。

初中級第6課と第10課の「できる!」で、日帰り旅行を計画して、実際に行くという活動を行いました。毎年「できる!」の活動費として使える予算があります。授業ではプレゼン大会の形で、学生たちがペアになって、福岡市内の行ってみたい場所についての旅行プランを発表し合いました。その中から最優秀賞を決め、後日、実際に日帰りクラス旅行に行きました。

あるクラスはアジア美術館に行く計画を立てて、事前に授業で、公共交通機関を使ってどう行くか、待ち合わせに遅れた人がいた時はどうするか、美術館で美術館の人とどういう話をするか、などを話し合いました。満員電車で乗れない人がいたり、来館3万人目に当たって新聞社のインタビューを受けたり、思いがけないことも起きたのですが、とてもよい経験になったようです。先生方からは「ああ、こうやって教室の外に出て新たな経験をしたり、いろいろな人とつながれるんですね」という声が聞かれました。

——教室の外の世界とつながるきっかけになったということですね。

そうですね。他には、これまで地域との交流会がありませんでしたが、初中級第7課の「できる!」に「日本人のゲストと交流しよう」という活動があって、ある教師が地域の公民館に連絡し、交流会が実現したのをきっかけに、さらに他の公民館や地域の高校とつながることもできました。学外の人と交渉してそれを実現させていく、そういう仕掛けがこの教科書にはあって、教科書の中で完結しないところがおもしろいと思います。

——先生方が、地域の方に連絡したり、交渉したりということが必要になりますが、そのあたりは、先生方の反応などはいかがですか。

そのきっかけを教科書からもらっていると考えてくれる先生が多いですね。実際、地域の方が参加してくださる授業に出てみると、学生が習ったばかりの敬語で一生懸命話そうとしたり、普段の授業ではあまり話さない学生が生き生きと発表したりすることもあって、「学生の日頃見ない姿を見ました!」と驚かれる先生もいます。私も、伝えたい相手がいるとこんなにも生き生きするものかと強く感じます。学生の中には、アルバイトと学校だけの日々という人もいるので、地域の人とつながりができるというのは貴重な機会になっていると思います。

「日本語能力試験(JLPT)」の合格をゴールにしない

——進学を目指す学生さんが多いということですと、「日本語能力試験(JLPT)」対策が必要になると思いますが、何か対応はされていますか。よく『できる日本語』を使っていて、JLPT対策は大丈夫なのか、という声も聞くのですが……。

日常的にはJLPT対策の授業というのは設けていません。ただ、私の経験から申しますと、日常の授業できちんと勉強していればN4、N5はほぼ合格できると考えています。また、進学の場合はN2、N3が求められるので、卒業までに学生の目標と習熟度に応じてN2合格N3合格を目指して、カリキュラムを組んでいます。言語知識の量としては『できる日本語』で十分、対応できると思います。ただ、N2、N3は問題形式に慣れることと問題を解く練習量が必要なので、形式や時間配分を経験してもらう目的で模試を行ない、フィードバックをしています。また、自学を促すために学生には問題集やアプリなどを紹介したり、希望者にはJ.TESTやチャレンジ模試などの外部試験を実施したりしています。

『できる日本語』を使っていると、例えば、地域の防災について学ぶ課では、実際に生活に必要な語や表現を学ぶために教科書以外の生教材なども取り入れるので、それらを読み書きすることを通しても、新しい言葉や知識も増えていきます。それが結果として、N2、N3の対策につながっていくと思います。JLPT対策自体を授業の目的にしてしまうと、試験が終わると学生のモチベーションが下がってしまうということも、過去の経験としてありました。今は試験が終わってもそういうことはありません。

——最近は、大学や専門学校でも、面接試験をしっかり行うというところが増えていますよね。

はい。ですので、JLPT合格は一つの目標ではあるけれど、それがゴールではないよ、ということは、先生方にも学生にも伝えるようにしています。

ルーブリックやポートフォリオなどを取り入れた評価

——評価についてもお聞きしたいのですが、『できる日本語』を使うカリキュラムでの「評価」という部分で、何か工夫されたり、取り入れたりされていることはありますか。

学生を点数だけで評価しないように、「できる!」の成果物や振返りシートをポートフォリオとして保存しています。初級と初中級でスパイラルになっている内容、例えば、初級と初中級の第1課「自己紹介」を比べることで、学生が成長を感じることができ、教師もその成長を把握することができます。

また、去年から、プレゼン形式の発表や作文にルーブリックを用いた評価を取り入れています。評価のためのルーブリックは、専任間で話し合いを重ねて作成しました。

——評価の方法を変えたことによって、先生方や学生さんから、何か感想や反応などはありましたか。

課に入るときに、学生にも先生方にも終了時のゴールと、評価のポイントをはっきり示すことができるようになりました。学生もポイントを意識して発表などができるようになったと思います。

実際の評価の際は、学生用と教師用を用意して、学生は自己評価をし、教師の評価と比べる時間も設けています。そうすると自己評価は低かったけれど、教師の評価は高いとか、その反対もあるのですが、評価を比較することで、自己評価では気づけなかったことに気づけて、次の目標を立てやすくなっているようです。教師側も、経験に差があっても、評価ポイントがはっきり示されていることによって、観点がわかりやすくなります。

学生が教室の外につながれるのはもちろん、教師も外につながり、成長を促してくれる教科書

——あらためて、カリキュラムを考えていくことと、教科書を選ぶということに関して、導入から振り返ってみて、何か気づかれたことなどはありますか。

そうですね。カリキュラムを改善していくときに、実は最初、日本語教育の参照枠に合わせて『できる日本語』をどう使うか、と考えたんですが、途中で行き詰まり、いやいや、そうではない、と立ち止まったんです。そして、前任校の時と同様、教科書に合わせるのではなく、まず私たちの学校が目指していることは何かをはっきりさせました。学生が実現したい進路に向けて自律的に考え行動できる能力を育成することを教育理念としています。だから、そのために、どのような授業を行うか、教科書をどう使うかを考えると自分の中ですっと腑に落ちましたし、結果的に参照枠の考えにも沿うものになりました。

教科書にはいろいろなものがあって、例えば、文型シラバスのものは効率的に文法事項を身につけられるという点に価値があると思います。ただ、学生は教室の外の世界で生きているのが大前提で、社会とのつながりができるという点に価値を置きたいと考えました。それを実現しやすい教科書が『できる日本語』でした。また、この教科書がきっかけで、学生だけでなく、教師も社会とつながることができます。だから、学生だけではなく、教師の成長も促す教科書だと思っています。

——なるほど。「教師も成長できる教科書である」という視点でのお話は新鮮です。今日はありがとうございました。

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