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日本語ジャーナル:日本語を「知る」「教える」

地域日本語教育でキャリアを拓く教師たち① やりたいことを楽しんでやってみる

日本語教育の分野が留学、就労、生活と区分された現在、生活分野においても、人材育成が行われています。2025年8月23日からは「生活者としての外国人」に対する日本語教師【初任】研修(文科省委託事業)がインターカルト日本語学校主催で開講されます。本コラムでは、生活分野ですでに活動している日本語教師4名に聞いた地域日本語教育でのキャリア、魅力、難しさをお伝えします。(深江新太郎)

やりたいと思ったことはやったほうがいい

-本日は、日本各地域の、地域日本語教育の現場で活動している方にお集りいただきました。福島県いわき市の下田まりこさん、長野県松本市の一氏隼人さん、鹿児島県霧島市の本田佐也佳さん、福岡県北九州市の大淵衣里さんです。まず、それぞれのこれまでと、今、取り組んでいることついてご紹介ください。最初は、福島で活動されている下田さんから。

下田まりこ:福島県いわき市で活動しています。会社勤めをしながら、2021年からいわき市国際交流協会主催の日本語教室の講師となり、コースデザイン、カリキュラム作成、ハイフレックス型授業の導入の企画などを行いました(下田さんの取り組みについてはこちら)。 2024年からは日本語教育アドバイザーという立場になり、企画やアドバイジング業務を、講師とは別の仕事としてさせてもらえるようになりました。 また、同年の大きな取り組みですが、大正大学の協力のもと、いわき市の日本語教室の講師を養成するOJTプログラムをいわき市国際交流協会主催で実施し、2名の講師が誕生しました。その成果は「地域日本語教育人材養成研修ハンドブック」としてまとめました。

2025年4月には、地域に住む外国人と他の住民をつなげる活動を行うための「日本語 となり」というNPOを日本語教師仲間3名で立ち上げました。「フリーランス日本語教師」という肩書が自分はどうもしっくりこなくて、何か一つの目標に向かって取り組むチームのメンバーを名乗りたいとずっと思っていました。「日本語 となり」の立ち上げによって、その想いが叶い、ようやく自分が何者かがはっきりしてきた感じがします。

-勤めている会社はどうなさいましたか。

下田:実はこの7月で退職し、日本語教育の分野に専念することにしました。今は大学院でも学んでいて、これまでの地域日本語教育の活動について学びを深めながら修論としてまとめたいと思っています。

-そうなんですね。では、神奈川から長野に移住した一氏さん、お願いします。

一氏隼人:いちうじです。日本に500人ぐらいしかいない名字らしくて、鹿児島に一番多いということです(笑)。日本語教育に関わるようになったきっかけは、新卒で入った会社が嫌になって、養成講座に通い始めたことです(笑)。そのときは名古屋でした。養成講座修了後に韓国で社会人を対象にした日本語学校で3年間、教えていました。楽しかったのですが、教室の中での出来事と彼らの社会とつながりよく見えなかったためおもしろくないなと思い、日本に戻ってきました。

-私と同じ、福岡の出身ですよね。

はい、戻ってきてからは地元の福岡にいたのですが、北九州国際交流協会がコーディネーター募集をしていたので応募し、採用されました。仕事は生活者向け日本語教室の運営や子どもの学習支援です。その後、現場を少し離れたいと思い、大学院の修士課程に入りました。修了後は、やっぱり研究じゃなく現場がいいなと思い、ちょうどそのとき、かながわ国際交流財団でコーディネーターの募集があったので、応募し、採用されました。仕事自体おもしろかったのですが、長野県松本市に旅行に行って、ここで暮らしてみたいなという安直な思いから(笑)、松本で今、暮らしています。

-どうやって長野での仕事を探したのですか。

一氏:銀座に銀座NAGANOというアンテナショップがあって、そこがハローワークも併設していたので、相談に行きました。最初は、私のことをちゃんと理解してくれず日本語学校の仕事ばかり紹介してくれたのですが、少しずつ分かってもらい、長野県の関係者とつないでもらい、そこから長野県が地域日本語教育コーディネーターを募集していることを知りました。かながわ国際交流財団では常勤として行ったのですが、長野では業務委託という形で受けています。ただこれだけでは食べていけないので、フリーで研修の講師を請け負ったりしています。そして、その仕事を受けるために私も「にほんごコモンズ」というwebサイトを立ち上げました。

-めっちゃフットワーク、軽いですね。

一氏:最近、わりと若い近しい人が亡くなっていて、いつ自分が死ぬか分からないなら、好きなことやっちゃおうというのが頭にあって。少しでもやりたいと思ったことはやっておきたい。

下田:私も同じ気持ちで20年勤めてきた会社を辞める決断をしたので。自分のやりたいことはやったほうがいいなと。多少、リスクをおかしてもやったほうがいいなと思うので、共感しかありません。

楽しみながら仲間と共に積み重ねる

-では、鹿児島で活動している本田さんにいきましょうか。

本田佐也佳:私は、鹿児島県霧島市で活動をしています。出身は鹿児島市で結婚して移住して霧島市に引っ越してきました。鹿児島市では日本語教室を県と市がやっていて日本語学習の機会があるのが当たり前のように思っていました。でも、霧島市の国際交流協会に行ったら、霧島市には日本語教室が存在していなくて、外国人に対する支援は何もないことが分かりました。

ただ、なかなかとっかかりがつくれない中、2021年に霧島市で日本語サポーター養成講座が開講されました。そこで出会った6人に声がけをして「きりしまにほんごきょうしつ」を立ち上げました(本田さんの取り組みについてはこちら)。

-「きりしまにほんごきょうしつ」はどのような活動をどのように行っているのですか。

活動を行うためにはお金が必要なのですが、霧島市はお金が出せないということだったので、助成金をとることにしました。NPO法人ではない任意団体でもとれる助成金です。最初の助成金が霧島市の市民活動推進事業でした。

この補助金で2022年10月に地域の日本人と外国人が交流する「カンバセーションナイト」という場づくりを月に1回、はじめました。そこに集まった地域の外国人の人たちが、「こんな問題がある、あんな問題がある」と声を上げてくれるようになりました。その声に応えるためにサポートしてくれる人がもっと必要なので、霧島市国際交流協会に「日本語サポーター養成講座」をやりませんかと提案をした結果、業務委託をもらいました。

ほかには、赤い羽根共同募金の助成金をもらって、去年、地域日本語教室を霧島市ではじめて立ち上げることができました。あと、こくみん共済 coop地域貢献助成をもらって、多言語での絵本の読み聞かせを行っています。するとそこに集まった保護者や子どもたちからその苦労を聞いたので、今年からソーシャル・ジャスティス基金の助成金を受けて、外国籍の子どもと保護者向けの教室を始めました。

-本田さんの原動力って、どんなところですか。

楽しいことかな。外国籍の人と関わるのも楽しいし、地域の日本人の方と関わるのもとにかく楽しいです。楽しめないと、やっていることは続けられないなって、思ってます。これが自分のライフワークになっています。

下田:ないないづくしの環境の中、どうして心が折れず、くさらずにやってこれたのですか。

本田:仲間ってすごい大事だなって思います。いろいろな機関にお願いに行っても、ぼろくそな対応をされるときもあります(笑)。でも、それを仲間にぐちって、「もういやね」って言ってくれる仲間がいるというのがすごい嬉しいことです。

小まとめ

本コラムでは4人のお話から、3人の活動をご紹介しました。日本語教師の中には日本語学校だと窮屈に感じる人もいるかと思うのですが、地域の日本語教育は自分の「やりたい」に忠実になれる場所です。今日、ご紹介できなかった福岡の大淵衣里さんは、日本語学校から地域に移った方です。次回は、この4名に聞いた地域日本語教育の魅力と難しさ、そしてキャリアをどうつくるかさらに深堀りします。

<受講者募集中>
インターカルト日本語教員養成研究所主催
文科省 令和7年度現職日本語教師研修プログラム普及事業
「生活者としての外国人」に対する日本語教師【初任】研修

期間:2025年8月23日〜2026年1月24日 土曜日 全18回 
※申込締切 2025年8月21日(木)

・形態:オンライン

・詳細:https://www.incul.com/jp/yosei/news.php?id=389 

 

深江 新太郎(ふかえ しんたろう)


「在住外国人が自分らしく生活できるような小さな支援を行う」をミッションとしたNPO多文化共生プロジェクト代表。ほかに福岡県と福岡市が取り組む「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」のアドバイザー、コーディネータ―。文部科学省委嘱・地域日本語教育アドバイザーなど。著書に『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』(アルク)がある。