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海外日本語教師生活ラスト、ドイツに残した小さな思いを拾い上げて未来へ

インドネシアで3年、中国で3年、トルコで4年半日本語教師として働いていた私は、仕事をやめ、語学学校の学生としてドイツに渡りました。ドイツでは日本語を教えるつもりはなかったのに、突然舞い込んできた大学講師の話。2年間の充実したドイツ日本語教師生活と、後になって気づいた小さなことについてお話しします。(編集部 奥山)

前回の記事:トルコでようやく気がついた、普通の日本語教師にできること 

始めましょう!

何年日本語教師という仕事を続けても、教室へ向かうときはいつも緊張しています。学期の初日、ましてや赴任して最初の授業であればなおさらです。私は授業が始まる少し前に教室に入ります。初めての授業の日は学生の方も多少の緊張感を持っています。教卓でパソコンやプロジェクターのセットをしている間、教室のあちこちから視線が注がれるのを感じます。授業開始時間ジャスト、教卓の前に立ち、声をかけます。

「はい、始めましょう。みなさん、こんにちは!」

教室中の学生が一斉にこっちを見るこの瞬間、学生だけでなく、私の中でカチッとスイッチが入るようです。私はインドネシアで日本語教師生活をスタートし、それから中国へ、さらにトルコへと渡り、トータルして13年ほど海外で生活してきました。小学校か、教育テレビの子ども番組のようなこの挨拶について、学習者を子ども扱いしていないか、考えることもありましたが、結局これを言わずに授業を始めた日はなかったと思います。海外日本語教師生活最後の2年を過ごすことになったドイツでも、私のこの言葉で学生はぱっと顔を上げ、「こんにちは!」と返してくれました。

ドイツでは日本語教師として働くことはほとんど考えていませんでした。4年半滞在したトルコを離れ、ドイツに移ったのは日本語教師のキャリアとは関係のない、プライベートな理由からでした。ドイツを含むヨーロッパでは日本語教師として滞在許可を手にするチャンスは非常に少ないです。それはよくわかっていたので、一年間ドイツ語学校の学生として滞在許可取得し、世界各国から集まった仲間と久しぶりの学生生活を満喫していました。それが、タイミングのいい偶然から、その滞在許可が切れる頃、2年間の大学講師の話が舞い込んだのです。

考えてもみなかったドイツでのチャンスに夢見心地になりましたが、同時に不安もありました。欧米系の学生は相手が教師であっても不満があればはっきりと主張し、教師を評価するというイメージを漠然と持っていました。特にドイツはイエス、ノーをはっきりと伝える文化習慣なので、そうした学生たちと渡り合っていけるのだろうかという不安です。

日本語ファミリーと日本語サークル

ドイツで教えることになった大学はヨーロッパでも名前の知られた総合大学で、キャンパスはあちこちに点在していました。幸い、日本語を教えるキャンパスは中心部に比較的近く、大きな庭園のそばにありました。夏場、私が川沿いを走るトラムに乗って大学から帰る頃、川サーフィンを楽しむ水着の若者たちがびしょ濡れでぞろぞろ乗り込んでくるのが日常の光景。トラムで停留所2つ分ぐらい川上に戻り、また川を流れるということを繰り返しているのです。ドイツでも5本の指に入る大都市でしたが、ビル街が集まるエリアは限られていて、自然と伝統を色濃く残した環境でした。

そうした雰囲気の中で私が出会うことになったのは、「ドイツ」と言いながら顔立ちも、母語も、文化的背景も、年齢も本当に多様な人々でした。海外の大学で教える場合には、基本的に同じ国籍、文化背景、年齢層の人を相手にすることになります。私がドイツで担当することになったのは選択科目としての日本語で、受講者は単位が必要な正規履修者、単位にはカウントされないけれど日本語を勉強したいから自主的に受講している人、シニアを中心とした大学外からの聴講生の3タイプでした。さらにそれぞれに中国やヨーロッパ各国からの留学生、ベトナム難民の2世、日本にルーツを持つ人、彼、彼女、配偶者が日本人という人などがいました。

私はそれまで、インドネシア、中国、トルコの大学では日本語専攻の学生を教えていました。日本語専門課程であれば、入学してから卒業するまでだいたい同じクラスメイト、同じ先生と4年間を過ごし、一種のファミリーのような関係になっていきます。ところが、選択科目の場合は週に2回、授業のときだけあちこちから集まってきて、授業が終わるとまたそれぞれの場所へ帰っていくという関係です。いつも隣同士に座って話もしているのに、いざペアワークをさせたらお互いの名前も知らず、改めて自己紹介しているということもありました。けれど、コースが進むにつれて、ばらばらだったメンバーが少しずつ日本語で結びつき、日本語サークルのような空間が出来上がっていきました。この、教室の外ではあまり体験できない「日本語の時間」を、みんなが楽しみにやってきてくれるのはありがたいことでした。

日本人的ドイツ人

この日本語サークルの空気は常に和やかで、私が密かに不安に思っていたような「授業のやり方が気に食わない」と不満をぶつけてくる人はいませんでした。疑問があるときには、おとなしい人でも迷わず質問してきますが、私の下手なドイツ語の説明に一生懸命耳を傾けてくれて、不満を態度で示すようなこともありません。あるとき、長年ドイツで教えている先生が「一般のドイツ人はやっぱりはっきり言う人が多いですね。日本語を選ぶっていう時点でどこか日本的な要素がある人たちだっていうことでしょうね」とおっしゃるのを聞いて、なるほどと何かストンと腑に落ちたような感じがしました。

言語の力は不思議です。私が英語やドイツ語で話すとき、自分の意志や要求、拒否などをはっきり伝えることが大切だとわかっていて、それを伝える言葉自体は知っていても、どうしても口から出すのに抵抗があります。外国語を話していても、私の思考は日本語に縛られています。もしかしたら、日本語クラスに集まる人の何割かは、ドイツ人でありながらどこかでドイツスタイルの話し方が少し苦手だと潜在的に感じているのかもしれません。

漢字は書けなくてもいい

それにしても、これだけいろいろな人が集まっていると、授業を滞りなく進めるだけで精いっぱいで、全員が喜んで納得してくれるような授業をするのは大変なことです。単位が必要な人、知らない言語をちょっとだけかじってみたい人、文法からきっちりやりたい人、日本の大学との交換留学プログラムに参加することが決まっていて、早急に基礎的な日本語会話力が必要な人。楽しくやりがいはあるけれど、いい授業とはどんな授業だろう、どうやって教えたらいいだろうと、まるで新人教師のように考え続けた2年間でした。

特に困ったのが漢字でした。私が文字指導をしたのは実はドイツが初めてでした。週2回の90分授業という限られた時間の中で、語彙や文法だけでなく文字も教えるというのはかなり厳しいです。日本語専門課程であれば、いやも応もなく勉強しなければならないものですが、この「日本語サークル」には漢字を勉強したい人もいれば、会話だけでいいと思っている人もいます。また、けっこう数の多い中国人留学生は漢字の形や意味は見れば分かりますし、一方で聴講生のシニア層はひらがな、カタカナだけでも覚えきれず、教科書を読むにも時間がかかる状態です。

考えた末、「漢字は読めて(音が分かって)、意味が理解できて、形が識別できれば、書けなくてもいい」と方針を定めました。スマホやパソコンで正しく入力できればいいのではないか、と考えてのことです。この方針の下に、学期末試験の漢字の書き取りは選択式に変え、授業では新出漢字をボードに書いて見せながら、みんなで一緒に何度か書くというのをやめ、代わりに書き方を見られるアプリなどがあることを紹介しました。これで、語彙や練習に使う時間をかなり増やすことができました。

やっぱり書いて覚えたい

ある日の授業前、二人の学生が私のところに来ました。二人ともクラスではおとなしく真面目な学生です。二人はためらいながら、漢字を教えるとき前のように書いて見せてくれないか、見ながら書くと覚えやすいから、と言いました。私は、正直、ちょっと困ったなと思いました。書く時間を除いても授業に余裕があるとは言えませんでしたし、全体的に漢字学習に興味があるようには感じていなかったからです。私は日本語教師のくせに、あまり字がきれいだとは言えません。アプリのビデオを見ながら書いたほうがいいのに、というのが本音でした。

でも、そういうリクエストがあれば無視することもできません。たとえ実際に学習効果が上がらなくても、教師がそれに対応したことで学習者自身が納得するというのも大切なことです。そこで、折衷案として一回だけは書いて見せる、そのときにはみんなで一緒にノートに書く練習をするということにしました。特に強制はしていなかったので、私が書いている間腕組みをしてじっとボードを見ているだけの人もいて、全員が納得するような授業をするのは難しいと改めて思いました。

振り返って思うこと

帰国して2年以上が過ぎました。今私は日本語教師ではなく、日本語の教室の外側から日本語教育に関わっています。

どんな先生がいい先生で、どんな授業がいい授業なのか、それは永遠のテーマですが、学生から「いい先生」という評価を得るのはそんなに難しいことではありません。授業時間が楽しく過ぎ、いい成績で単位がもらえれば大抵の学生は満足します。私の授業もそれなりに高い評価を得ていたと思います。私は常に「楽しい授業」を目指し、ドイツではスムーズに楽しい雰囲気や受講者との信頼関係を作ることができました。ただ、それを壊すことを恐れて、学習者があまり喜ばないようなことは避ける傾向にあったかもしれません。この授業では漢字を書くところまでは求めない、という方針が必ずしも間違っていたとは思いませんが、結果として書くことだけでなく、読むこともできるようにならない人が多かったと感じました。

何でもないときにふっと、日本語を選ぶ人はそもそも日本的な部分を持っている人だという日本人の先生の言葉と、漢字を書いてほしいと遠慮しながら言いに来た学生の顔を思い出します。あの教室にいた人たちが本当にドイツ人でありながら、日本人的な部分を持ち合わせている人たちだったとすると、楽しい授業の中で言い出せなかった「もっとこうしてほしい」という思いは他にもたくさんあったのかもしれません。その思いのすべてに応えることは難しい。けれど、やはり一度立ち止まって考えることは必要だったと思います。

ドイツでの最後の授業の後、何人かの学生がカードや小さなプレゼントをくれました。帰るときに、楽しかった、ありがとうと伝えてくれた人や、試験の解答用紙の最後にコメントを残してくれた人もいました。その中にあの二人の学生たちもいました。どんな先生がいい先生で、どんな授業がいい授業なのか、そして、今の私の立場で何ができるのか。あの頃、毎日の授業に必死で流してしまったかもしれないたくさんの思いを、これからひとつでもふたつでも拾い上げていければと思っています。

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